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パラリンピアン佐藤真海さんの談話を読んで思ったこと考えたこと

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ANAのプレミアムメンバーに送られてくる会報「AZURE」最新の春号の連載記事「決心の瞬間」はパラリンピアンの佐藤真海さんでした。わたしはほとんどテレビを観ないので世間の話にうとく、ご多分に漏れず佐藤真海さんのこともこれまで知らなかったのです。

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パラリンピアン佐藤真海さんとは

サントリーホールディング所属のアスリート。2013年9月に行われた東京オリンピックの招致プレゼンで有名だそうですね。記事によると、

骨肉腫で片足を失い、2011年には故郷の気仙沼市が津波に襲われ、自宅も飲み込まれた。それでも数々の逆境から立ち直れたのは、「スポーツの力」と訴えた。
20代で、誰もが一生経験しないだろう艱難辛苦に幾度となく襲われた。それでも常に笑みを絶やさない強さが、佐藤さんにはある

いつも思います。キツイ時に暴言を吐いたり、周りに悪態をついたりして何になるのだろうと。笑顔を絶やさない佐藤真海さんの凄まじさは十二分にわたしには伝わります。

この「AZURE」誌の連載タイトルは「決心の瞬間」というものですが、佐藤真海さんの「決心の瞬間」は片足を失った時だそうです。書き言葉では一言で書いてしまえますが、その言葉の意味するところは凄まじいものです。

今年で33歳になります。振り返ればいろいろありましたが、「決心の瞬間」を一つ取り上げるとしたら、やはり片足を失った時です。

子どもの頃からスポーツが好きだった佐藤真海さんは、小学校で水泳、中・高と陸上、大学ではチアリーダーと青春を謳歌していたそうです。

そんななか、大学二年(19歳)の夏に右足首に鋭い痛みを感じ、暫定の治療でごまかしながら過ごしていたが歩くのも辛くなり整形外科、大学病院、がんセンターへと進むなか骨のがんである骨肉腫と診断されます。

抗がん剤治療が始まると、吐き気と倦怠感に襲われ、テレビを見るのも辛くなる。1カ月後、若い女性には残酷な現実が待っていた。髪の毛が抜け、眉毛、まつ毛も落ちた。ついに、足の切断を迫られる日が来た。

辛い治療にも耐え、髪の毛も失い、更には足まで奪われるのか・・・。わたしは先生に「足の切断は、最後の手段にできないか」と言いましたが、先生は「最後の手段にしたら手遅れになる。がんが全身に散って、あと一年しか生きられないよ」と答えました。

私は一縷の望みをかけ、食い下がりました。「もし先生のお子さんが私と同じ状況だったら、手術しますか」すると先生は即答しました。「もちろん切る。命の方が大事だからね」この言葉で覚悟が決まった

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手術室に入る時には家族に笑顔で手を振った佐藤さんですが、出術も含めた治療期間は、常に逃げたくてしかたなかったそうです。時々、「なぜ自分だけがこんな体になったのだろう」と思いましたとあります。

そんなマイナス思考を断ち切るため、夢中になれる何かを探そう、スポーツをして自分を取り戻そうと思い、東京都北区にある障害者スポーツセンターを探し出したのです。

当初は水泳に取り組み、その後スタッフの勧めもあって陸上競技もはじめられます。その後、佐藤真海さんは持ち前の「負けじ魂」で次々に記録を塗り替え、走り幅跳びではアテネ、北京、ロンドンパラリンピックに出場されたそうです。

「笑顔がいい」と皆に言われる。どん底を経験すると、日常の些細なことに感謝と幸せを感じるようになるのだろう。食事も心の底から美味しく、人と会えば楽しい。花を見れば美しいと思い、自然に笑みが出る。

佐藤真海さんの公式twitter

グッチはこう思う
この記事を読み、さまざまな思いが去来し、そしていろいろなことを考えました。まず、思い感じることが大切ですが、その次にどう行動に結びつけるかをこそ大事にしています。

自分を振り返ってみれば、本当に恵まれているなと思う。そう書くことさえ傲慢に感じるくらいの思いをいただいた。良い記事に出会わせてくれて、ANA AZUREありがとう!

追記:特集であった「オトナの秘密基地」も最高でした♪

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