「この世界の片隅に」を観た。日々を過ごすことの大切さを学んだ。どんな時だって楽しめる。

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わたしの呑み仲間のおじさん(わたしもおっさんだが、それよりもおじさんなのです)が場末の酒場で熱く語っていた映画「この世界の片隅に」をついに観た。

カエサルばりに完結に感想を述べるならば、「笑った。」「泣いた。」「考えた。」ですが、あまりにも素晴らしかったのでもう少しだけ深堀りしてみたいと思います。

「この世界の片隅に」を観終わって感じたことは?!

この映画については、おそらくTVなどのマスメディアをはじめ、さんざん語り尽くされていると思うのであらすじやらどういった内容なのかはここでは書きません。わたしはそもそもネタバレが嫌いだし、そういうのうまく書けないのです。

もちろん、笑ったり泣いたりとエンターテイメントとしても十二分に楽しめました。尺としても長過ぎず、短過ぎずほどよい長さだったかと思います。観終わった直後の感想としては、「ああ、戦争って怖いし本当にイヤだ!」といったものや「今を大切に生きよう!」などといったごくごく当り前のものでした。

しかしながら、感じたことというのはそんなに長くはもちません。せっかく、「一生懸命生きよう!」というエネルギーをもらったはずなのに、別にそれからの日々が変わるわけでもなく、師走の忙しさにかまけいつも通りの日常を少しだけ急ぎ足で駆け抜けるだけでした。

「この世界の片隅に」を観て考えたことは?!

そんな日常が数日経ちました。観終わってしばらくは、あまり深く考えていなかったのですが、しばらく経ってわたしのなかでこの作品が熟成されるにしたがって、さまざまな思いが去来しはじめたのです。

きっかけは、ほんの少しの疑問というか違和感でした。わたしが感じた違和感というのは、作品中に主人公のすずさんをはじめとしたみんながけっこう楽しそうにしていたことです。

はじめは主人公であるすずさんの性格というか人間性が周りに与える影響なのだろうと思っていました。「ああいったのんびりとした人がいると周りが和むよなぁ」とか、「ダンナさんは、すずさんのような方と結婚して本当に良かったなぁ」などといった他愛もない思いでした。

しかし、よくよく考えてみるとそうではないなと思うようになってきたのです。

人はどんな環境にでも慣れ、どんな時だって楽しめる。しかし、それは。。。

戦争がススムにつれて生活は苦しくなっていきます。食べるものをはじめとした物資がなくなることによって物質面での豊かさが損なわれていくのです。でも、それでもすずさんを中心とした家族には笑いがあります。もちろん、それと同等かそれ以上の悲しみや苦しみもありますが。

物質面で貧しくても精神面が豊かならばいいなどというイイ話をしたいわけではありません。人間のもつ環境への順応性や苦しさなどへの耐性って、ちょっと怖いなと思ったのです。

思えばわたしもビジネスやプライベートにおいてさまざまな理不尽な扱いをうけることがあります。不満もたくさんあります。でも、それらとなんとか折り合いをつけて日々を過ごしています。そうしないと生きていけないからです。

でも、それでいいのかという思いも常にもっています。何かを変えたいという変革の意志をもっています。しかし、そういった意志はともすれば消えてなくなってしまいます。日常というあまりにも強い流れのなかで忘れ去られてしまうのです。

作中において、すずさんがみせる激しい怒り。なににぶつけていいかわからないような世の中に対する漠然とした怒り。もっと具体的な何かに対する怒り。それらをわたしも持っているのです。それらを持ち続け何かを改革したのかと問われたら、それにはあまり自信がありません。しかし、それでもなおわたしは、そういった怒りをプラスのエネルギーに変えて何かを成し遂げたいのです。

きっとそれを忘れたくないと思いこの記事を書いたのだと思います。

あとがき

最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪

上に書いたようなことがこの作品に込められていたのかは知りません。チカラを込めて描かれた作品には、人に与える影響力のようなものがあると思っています。

「この世界の片隅に」はそんなパワーがあるすごい映画でした。ぜひ、観てください。できれば劇場の大きい画面、そして迫力のあるサウンドで。音がとても大切な要素となっている映画だと個人的には考えています。

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